死者の数では表せない戦禍 & 時計に込められた思いに応える
今週の写真は「富山大空襲を後世に」
「富山大空襲を語り継ぐ会」が中心となって企画した展示会に先日、行ってきました。1945年(昭和20年)8月2日未明に、富山市の市街地を襲った富山大空襲。今回の展示会では空襲を体験した人たちの証言をまとめたパネルや空襲を体験した人が描いた絵、当時の写真などを展示し、空襲にいたるまでの国内外の動きや富山大空襲がいかに悲惨なものだったのかを紹介しています。焼夷弾が降り注ぎ、その熱さから逃れようと川に逃げ込む人たち。逃げ込んだ川の中や防空壕の中で多くの命が奪われた様子が鮮明に伝わってきて、胸が痛みました。
心に残っているのがパネルに書かれたこの言葉です。「子どもには名前がある。子どもにはふるさとがある。死者の数で呼ばないで。」これまで私も「富山大空襲で市街地の99.5%が焼き尽くされ、およそ3千人が犠牲となった」とニュースで伝えてきましたが、今回の展示を見て、そうした数字では語りつくせない、ひとりひとりの苦しみ、悲しみ、大人になれなかった子どもたちの無念さ、怒りが心に迫ってきました。先日、私が担当するKNBラジオ午後のワイド番組「でるラジ」木曜のインタビューコーナー「VISION the TOYAMA」に出演していただいた「富山大空襲を語り継ぐ会」の代表幹事、高安昌敏さんに会場で話をきいたところ、若い世代の来場者がとても多いとのこと。私が行った日は平日でしたが、パネルを真剣に見ている高校生や、展示されている防空頭巾をかぶってみる小学生、親子で戦争について話している家族連れの姿もありました。
戦後80年という節目の年に開催した展示会。戦争の語り部が減っていく中、戦争を知らない世代に戦争の記憶と平和への思いをなんとしてでも伝えたいという強い思いが込められています。会場は富山県民会館の地下展示室、入場無料で今日の17時までです。
さて「VISION the TOYAMA」先週7月10日のゲストは、黒部市の時計修理士、麻地宏幸さんでした。
「思いのこもった時計を後世に残したい」
時計修理士 麻地宏幸さん (2025.7.10放送)
麻地さんは黒部市の商店街にある創業78年の老舗時計店「あさじ時計店」の3代目店主。一級時計修理技能士として祖父、父から引き継いだ店で思い出の古時計から、ロレックス、オメガなどの高級ブランドまで、さまざまな時計の修理を行っています。祖父の言葉「時計は修理ができるから、販売もできる」をモットーに、およそ9割は修理の仕事だそうです。
家業を継ぎたくないと思っていた麻地さんは大学卒業後、自分の天職を探そうとさまざまな仕事を経験していましたが、たまたま実家の手伝いをした時、父親が直した時計を手渡したお客さんが涙を流して喜ぶ姿を見て「自分の特技を生かして、人に涙を流してもらえる仕事は本当に素晴らしい。自分の天職はここにあった」と気づいたとのこと。そして27歳で店に入ってからは、父から時計修理の技術を習い、空いた時間に時計100本以上を修理する訓練を重ねてきました。初めて自分で分解した時計のことは今でも鮮明に覚えているそうです。女性が持ちこんだ手巻き式の小さなオメガ。どこに持って行っても修理を断られていた時計を受け取り、自分が分解して組み立てた時、部品が「カチリ」とかみ合った音、動き出した瞬間は忘れられないと話します。「まるで命が宿ったような感覚。小さな宇宙が運航しているような美しさを感じた。」と話します。
時計はクォーツで80個くらい、ゼンマイ式で100個以上。ストップウオッチ機能などのついた複雑なものは200個から300個の部品で作られているそうです。「小さな部品を飛ばさないよういつもマスクをして、難しい作業の時は呼吸を止めて集中して作業するのはたいへん。目も疲れるし肩こりもする」と話す時も笑顔になる麻地さん。時計への愛が感じられました。
「時計に込められている人それぞれの思いに応えたいと思って修理している。思いのこもった時計を後世に1本でも多く残したい。直した時計を眺めた時に、当時の気持ちや思い出を振り返ってもらえたらうれしい。2年後の創業80年には、県内各地のランドマークともいえる時計台を写真に収めて皆さんに見てほしい。そして80歳の時計を修理して展示したい」と時計への熱い思いを語っていました。
「VISION the TOYAMA」はKNB公式YouTubeに動画をアップしています。そちらもぜひご覧ください。今日7月17日のゲストは高岡市にある光ヶ丘病院理事長補佐の新藤悠子さんです。新藤さんはイベントやワークショップなどを開催し、自分らしく生きることを地域に発信する一般社団法人ヒカリプロジェクトの代表理事も務めています。13時10分過ぎからの放送です。